皆さまごきげんよう。
うなぎ丼です。
今年も早いもので本日大みそかとなりました。
そしてこれが私にとって学生生活最後の大みそかとなります。
疾風のように過ぎ去っていく日々を感じ、今年1年いろいろなことがあったなと感慨深く思っています。
そこで本記事では、今年1年を振り返って、学んだこと・体験したことを皆様へお伝えできたらなと思います。
うまくいかなかったこと・失敗したことが多かった1年だったからこそ、そこから学べることが多いと思います。
皆さまも私の失敗経験から何か得られることがございますと幸いです。
では早速、振り返っていきましょう。
インターンシップへの参加(1月)
就職活動を進めるにあたって、インターンシップへ参加することは比較的有利に働きます。
なぜなら、インターンシップとは企業が「お金と時間を使って就活生に就業体験をプレゼントする代わりに就活生を囲い込む場」であるからです。
そうと知っていて参加しない手はないだろうと考えるのが人間の性(さが)。
私はインターンシップに参加するためにエントリーシートを書き、面接を受け、ついには参加の切符を勝ち取りました。
そして、迎えたインターンシップ。
1週間のプログラムだったのですが、初対面の人達とグループ単位で1週間行動を共にし、最後は各自学んだことを発表して、企業の人が評価するという流れです。
正直言って、インターンメンバーのレベルの高さに驚きました。
出された課題に対して自分の頭で考え、自分の言葉で、自分の意見を言う。
一見当たり前に聞こえるかもしれないがそのように取り組む姿勢は今の自分にとって難しいことでした。
自分は幼少期の頃から間違ったことは言わないように言わないように生きてきましたが、それが弊害になり、はっきりと意見の言えない自分を恥ずかしく思いました。
実は、私のような人は世の中他にも多いのではないかと感じています。
周りに嫌われたくない・無難にやり過ごそうと反射的に閉じこもってしまう内向的な人です。事実、自分の周りの人を見渡してみても、内向的な人は多いと感じます。
しかし、無難ということは恐ろしいもので、嫌われることはない代わりに、誰の記憶にも残らないものです。
インターンシップを通してその他大勢と同じで全く個性がないという烙印が押されたような気がしました。
失うものは無いのだからもっと自己主張すべきだということを心から感じました。
初の面接(2月)
そんなインターンがあった翌月、初めての面接を迎えます。
私はマッチング面談だと聞いていたため、私服で行き、面接だとは思っておらず双方理解の場だろうと思って企業のことを全く調べずに向かいました。
しかし、この「マッチング面談」という名前がくせ者で、ただの「本選考」を言い換えたに過ぎない代物でした。
控え室に待機していた人が私以外にも3名いたのですが、全員スーツです。
自分が下調べをしていなかったのが悪いのですが、私はこの瞬間、「しまった。」と思いました。
心構えがほかの就活生と違う上に、服装・表情にもはっきりとあらわれていました。
迎えた面接は、あえなく撃沈。
45分という時間の中で、ひたすら薄っぺらいことを喋っていました。
その時に対応していただいた穏やかな年配の面接官の引きつった表情は今でも忘れません。
笑顔で対応してくれたにも関わらず、不甲斐ない自分に時間を費やしてくれたことを申し訳なく思いました。
その後、面接落ちという旨のメールが来ます。
フィードバックでは、「何とかして答えようとする粘り強さは見られたが、行動力・協同力といった面が見られなかったため、マッチング不成立となった。」というコメントがありました。
全くのお世辞でしたね。まるでダメでした。
しかし、面接を経験したことで、掘られても切り返せないのは自己分析の足りなさと面接練習不足が考えられました。
そこで、きたる3月にはしっかりと克服すべく、自分とはどういった人間なのかを紙に書きだし、質問に答えられるようシミュレーションしました。
就活解禁、いざ尋常に(3月)
ついに経団連の指定する企業の求人活動が解禁してしまいました。
すなわち、就活生にとっては「就活解禁」を意味します。
ここではまず、説明会に出席して、エントリーシートをいくつ出せるかがカギとなっています。
私は研究と両立をしていたので、毎日というわけではなく、毎週必ずどこかの企業の説明会に向かい、エントリーシートを提出しました。
エントリーシートは数えただけでも10社以上は出しました。
そこそこ名の通っている大学であったため、エントリーシートで落ちることはありませんでした。
3月後半からは面接が本格的に開始します。
企業によりますが、だいたい三回の面接を突破した末に内定が出ます。
2月の失敗を踏まえ、改善した成果があらわれてきたのでしょうか。
1次面接は難なく突破できるレベルまでなりました。
しかし、問題は2次面接。
1次面接で聞かれたことからさらに掘り下げて聞かれるようになりました。
それは、自分の信念・価値観・大切にしたい生き方など意思決定に作用する部分を重点的に掘り下げられました。
質問の対策を考えるがあまり、別の角度で聞かれるとたじろぐ自分がいました。
理由は明白で、自己分析をしたつもりになっていたことです。
自分はどういうときに嬉しい・幸せだと感じるのか、反対にどういうときに苦しい・つらいと感じるのか、それらを明確にしたうえで言語化することが求められました。
私は2次面接を通過できないという悪い流れが続きました。
なかなか内定が出ずプログラミングの勉強を開始する(4~6月)
4月に入ってからも同様に面接があまりうまくいきませんでした。
ついには5月のGWが明けてしまいました。
そこで私は、一旦就職活動を休止して、これからは手に職をつけるのだと自分に言い聞かせ、プログラミングの勉強を始めました。
SNSインフルエンサーに影響された意識高い系の大学生がやりがちなことです。
実は私もそのうちの1人で、ツイッター・youtubeでインフルエンサーと呼ばれる方の配信に感化されていました。
「就職してもやりたいことがやれないかもしれない」「だったらプログラミングで手に職つけてフリーランスとして生きていくのが良い」「自由な働き方ができる」
こういった甘い言葉に惹きつけられます。
私は特にWeb系のプログラミング言語こそが自由な働き方ができると考え、HTML・CSS・JavaScriptをドットインストールで勉強しました。
昔からなのですが、私はなんでも自分で独学するのが得意でした。
高校では教師の言うことは聞かずにほかの勉強をしたり、大学のテストでは授業にあまり出ずに図書館で本を借りて勉強していました。
話は逸れますが、現代には「ドットインストール」と呼ばれる月額1000円ちょっとの有能な動画学習サイトがありましたので、プログラミングスクールに通って20万以上するような法外な授業料を(就活中に)支払わなくて済みました。
そして、3週間くらいかけてWeb言語を一通り勉強し終えた後に、実際に案件を受注して仕事をしてみようと考えました。
再度申し上げますが、ここまで就職活動を一切やっておらず、5月GW明けから6月にかけての出来事です。
さっそくランサーズというフリーランス用の案件受注サイトに登録し、案件を片っ端から受注しようとします。
しかし、いくら案件を申し込んでみても全く返事がありません。
それもそのはず。
なんせ、50人くらいが一気にその案件を受注しようと押し寄せます。
自分みたいな実績も経験も一切ないような人間に仕事が来るわけがなく、またもや撃沈しました。
信頼がゼロの状態から、仕事を勝ち取ることの難しさを感じました。
その頃からやはりフリーランスとしてではなく、企業に就職しようと考え始めました。
まずは食べていくためには仕事をとれないと話にならないので、既にあるレールとして企業に就職することで、金銭的な問題は解決できると思いました。
人間、生きていくためにはお金が必要です。
お金がないと我々は何もできない無力感を思い知らされます。
仕事をとるということがいかに大変なことなのか、企業の偉大さを痛感しました。
つまり、私はプログラミング言語を学習したまではよかったのですが、案件を受注するところで挫折し、就職活動を再開することを決意します。
就職活動終盤(7~8月)
ここからの就職活動は吹っ切れていました。
7月に入ってしまいましたので企業を選べる身分でもなく、「もう迷わない」「どこでもいいから空いている企業を受けて金を稼がないといけない」と考え、片っ端から電話をかけて「まだ求人を募集していますか」とテレアポをしました。
そして、このご時世にテレアポといういかにも昭和的だが積極的な姿勢が功を奏します。
大企業が面接を受けさせてくれることになります。
それも5社ほど。
時期も時期でしたので選考はすぐに進んでいきました。
トントン拍子で進み、遂に、8月にある大手企業から内定を勝ち取ることができます。
面接ではこれまでの自分の経験・それに基づいた志望理由を自分の言葉で話すことができ、今までにないはっきりとした手ごたえを感じました。
自分らしくありのままで語れた面接を通して、自分がこの企業に受かったのは運命だったのだと考え、そこへ入社することを決めます。
思えば、自分の就職活動は積極的な姿勢が欠けていたのではないかと感じます。
何が何でも受かってやる、後戻りはしない、このように腹を括って戦ったことが内定に繋がったのだと自負します。
入社してからも逃げずに積極的に立ち向かう信念を大切にしていきたいと思います。
研究活動(8~9月)
就職活動をしている間、実は研究活動も片手間に進めていました。
実験結果もそこそこ出ていたので秋の学会発表に参加することになりました。
しかし、またもや自分の前に壁が立ちはだかります。
昔から、発表が苦手・本番に弱い自分です。
発表練習でもあまりうまくいかずに、大勢の前でしゃべることがこれほどまで緊張するものかと感じました。
そこで今回は綿密に発表原稿を準備し、当日緊張して頭が真っ白になっても良いようにしました。
それと合わせて発表原稿を作るのは、自分の言いたいことを整理するというもう一つのメリットがあります。
この原稿をもって、本番前日までに次の言葉がスラスラと出てくるくらいかなり練習しました。
そして迎えた本番では、練習の成果もあって緊張することなく、自分の伝えたいことを伝えることができました。
聴講していた他大学の先生からの評判も良く、概ね成功に終わりました。
ここでは、就職活動で培ったテレアポなどを泥臭く行っていく経験が役に立ちました。
ブログの運営および修論へ向けた実験(10月~現在)
学会発表が終わるとある程度落ち付きます。
その頃に私はツイッターや書籍で米国株投資が良いと耳に挟んだので、新しく米国株を始めてみようと思いました。
そして実は、米国株投資を始めると同時にブログ運営を始めました。
ブログ運営では最初、何から手をつけていいのかわからず、「ブログ 始め方」でググっていました。
まず、サーバーを契約、ドメインを取得、ワードプレスを導入することから始め、初めてのことをするのは大変でした。
幸い、就職活動中にHTML・CSS・JavaScriptを勉強しておりましたので、ワードプレスを用いて書くことに抵抗はありませんでした。
また、立ち上げるまではかなり大変でしたが、つらくはなかったです。
自分で何かを発信したいと思っていましたし、昔から良いと思ったものを人に紹介するのが好きでした。
ブログは自分が勉強したことや経験したこと、読んでよかった書籍など発信することができます。
ブログは、人に良いと思った情報を発信でき、表現できる媒体です。
これは自分が続けられると信じ、今も日々更新しております。
そして米国株の方も、毎月毎月少額ですが積み立てています。
資本主義社会の搾取構造からいち早く脱出するためにも、毎日の小さな積み重ねを大切にしていきたいです。
総括
以上、2019年の1年間を振り返ってみました。
ここまで超長かったですが、自分の今年おもに体験したことをまとめてみますと
・就職活動
・プログラミングの勉強
・米国株投資
・ブログ開設
です。
様々な体験をしてきましたが、この一年で学んだことをひとことで表すなら
「人生において大切なことは挑戦しつづけ、継続すること」です。
挑戦し続けているもの、継続しているものにこそ道は開ける。
私は、”Where there is a will, there is a way.”という言葉をモットーに弊ブログを書き続けてきましたが、これからも自分の信念を曲げずに継続していこうと思います。
そして来年もさらなる高みへ羽ばたいていきたいと思います。
Where there is a will, there is a way.